その六

セニアカー
 29日の土曜日、病院へ、内科で診察を受け血圧の薬を貰うためと、左手のリハビリで行きました。

 その人は、組立て式の手押し車らしきものを支えに、右足を引き摺って、不自由そうに歩いていました。両手で身体を支えていた様子から、脳卒中の片麻痺でなく別の病気が原因で身体が不自由なのかと思いながら見ていました。

 帰る時、その人が病院の出口を出て、手押し車をセニアカーに乗せ、自分も乗り込もうとするのを見ました。

 その時、気持ちが高まるのを覚えました。遠い所では無いと思っても、どんな事情があるかも知りませんが、私が見ても不自由そうなのだから、結構身体の大変な人ですが、自分ひとりで一生懸命なのです。

 障害者というと、悪いわけではありませんが、誰か人に頼って、甘えているようなそんな風な所も見ているので、自分で大変でも頑張っているのを見たので感激しました。
ノスタルジア−1
 郷愁では無いでしょうが、ふと、昔の事を思い出し、胸が苦しくなるような思いに囚われることがあります。

 1970年の万博へ行った時のことです。私は高校2年生、夏休みにオートバイで東名高速をつかい、万博へ、泊まりはユースホステル。
 そこで、群馬県の女子高生4人組と車で来た弘前大学の学生2人と知合い、万博を何日か見てその後、京都で観光、女の子となんかと仲良くする機会の無い時でしたから、それは胸弾む時間でした。

 その後は、なさけなく、手紙も一二度でした。

 今は、あの子たちはどうしてるのかと思うと懐かしくなります。

 もっとも、今では皆、おばさんになってしまっているでしょうが、どんな生き方があったのか、 会って話してみたい気がします。
5月30日

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