その二七

 墓参り
 父は去年の三月に亡くなった。 大正一四年生まれなので八十八歳だった。 茨城県八千代町に生まれて、最初、結城で商いをしていたが、続かないので川崎に出てきて工場勤めの会社員になって私たち家族を養ってくれた。 会社を休んだところを見たことがなかった程、勤勉で真面目さだけが取り柄だった。定年退職後も属託で七十歳まで働いていた。

 命日前だが、八日の日曜日に八千代町へ墓参りに出かけた。 あいにく小雨だった、周りには親類縁者のお墓もあるので、寂しくは無いと思った、死んでしまっては何も判らないだろうけど。

 ただ、お墓は、十数年前、よく覚えてないが作っていたので、本人は安心していたのだと思った。 でも、霊魂が残っているなら、お墓より、三十年余り住んだ、建売だが立派な、横浜の自分の家に戻りたいのではないかお盆だけでなくと思っている。
 葬式 
 葬式は残された者のための儀式、死者への尊厳、尊敬の念はあるが、残された者の死者との別れ諦めるための儀式。
 そして、生きている者の死への恐れを和らげる、自分も何時かと納得(或いは覚悟)する場ではないのかと思った。
 最近買った 
 早川書房 リチャード・ドーキンス著 「進化とは何か」の中に次のような一節があった。

 『私たちはスポットライトの中で生きている
  ちょっと視点を変えて(前の文章を読まないと良く解らないと思いますが)、私たちが生きているということがいかに幸運なことか、という点を強調したいと思います。

 なぜ幸運かというと、われわれの祖先が生き残ってこなかった可能性のほうがはるかに大きいから、われわれでなく誰か別の人間が生き残った可能性のほうがとてつもなく高い。

 それから、私たちが生きているということは、また別の理由で実に幸運なことなのです。

 考えてみてください。

 宇宙はその誕生から約140億年たっている。つまり、1億4000万世紀です。そして、今から6000万世紀たつと、太陽は赤色巨星になって、 地球を飲み込んでしまう。つまり宇宙誕生から太陽系の終焉まで約二億世紀の時間が流れることになります。

 宇宙が誕生してから1億4000万世紀のあいだ、初めから一世紀ずつすべての世紀が、過去に「現世紀」であったことがあるのです。

 そして、これから太陽系の終焉まで6000万世紀のあいだ、一世紀ずつすべての世紀が「現世紀」となる。

 「現世紀」というのは、膨大な時間の流れの中の小さな一スポットライトに過ぎない。その一瞬のスポットライトの前はすべてが死滅した暗闇であり、そのスポットライトの後はすべてが未知の暗闇です。 私たちはこのスポットライトの中で生きている』

平成27年 3月21日

戻る

inserted by FC2 system