その十
 神様のくれた時間
 「神様のくれた時間」には、「もしかしたら無かった時間が神様から与えられた」という意味の他に、もう一つの意味があるのです。それは、「試練」なのだと思います。
 時間では無く試練が与えられたのです。この試練は辛いものです。何の為に、何故自分にと聞いても答えてはもらえません。

 ただ、、この試練の後には、その人にしか得られないものが待っているし、あるはずだと思いたい。何かは分かりません、失ったものと比べることもできません。信じましょう。
 今、多くの人が、この試練に耐えています。この試練、今は、どうしてなのか多くなっているような気がします。

 試練はもう必要ないという人には、きっと無かったかもしれない時間を頂いたのです。私の場合は、どっちなのでしょうか・・・

 もっと大変な人がいる
 もっと大変な人がいるんだからと自分を慰めても何にもならない。自分は自分で自分でしかありえないのだから。人と比べて自分を慰めても仕方ありません、自分は変わらないのですから。何にもならないのです。それより、今の自分と真正面から向き合うしかないのです。向き合って、取り組むしかないのです。自分なのですから。

 人の痛み苦しみは、分かりません。ただ、この病気でもっと後遺症が重い人の大変さは分かります。だって、今の自分の後遺症でも時々嫌になるぐらいなのですから。
                                    7月14日

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