障害を持って生きる

 障害を持って、この後どう生きていこうか。

 今は、まだ仕事をして家族の生活を支えることが必要だし、出来る。

 それが無くなり、そして出来なくなったら、不自由な体で、出来る事も少なくなった人生にどんな意味が有るのかと考える時、次のような新聞のコラムに出会った。
○ 朝日新聞 平成17年12月1日 「ひと」 山田規畝子さん
 脳卒中の推計患者総数は約140万人。多くが後遺症「高次脳機能障害」に悩む。時計の針が読めない、簡単な言葉が出てこない・・・。

 「私も毎日失敗ばかり。でも大丈夫。体の回復力はすごい。少しずつでもいい方向へ向かっています」。ろれつが回らぬ口でゆっくり話すと、聴き入っていた患者や家族からホッと息がもれた。

 引きこもりがちな患者らに障害の原因を解き対処法を紹介する講演に飛び回る。

 何度も病気に夢を砕かれた。医学生だった23歳で最初の脳出血。後遺症は残らず整形外科医になったが、34歳で再度出血。遠近感がなくなり数分前のことを忘れてしまう。もうメスは持てない。ならば障害を研究してリハビリ医にと研修中の37歳で3度目の出血。左半身マヒ。左側の物が認識できなくなった。

 それでも次の目標へ向かって進むのは、人の体を信じているから。手術時に撮影された自分の脳の映像に、細くぼやけた血管を見つけた。閉塞した主要血管にかわって発達したのだ。度重なる出血の元凶だが、いとおしかった。「私を生かすために、一生懸命にょきにょき伸びてくれたんだ」

 講演ではいつも、障害を持って生きる意味を聞かれる。「死なないで時間が過ぎてゆくのが生きてるってこと。その時間を受け入れて、とりあえず命をつないでいけば後は何とかなるでしょう」

● 死なないで時間が過ぎてゆくのが生きてるってこと 
 意味が有るのか無いのか、当たり前でもあり、禅のようでもあるような言葉だった。

 この言葉から、私は、生きることに関しては障害が有ろうが無かろうが関係ないのだと教えられたような気がした。

 そう、障害に囚われては往けない、生は生けるもの全てに与えられたものなのだから、感謝を忘れないで生きなければと思った。

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