3) 療養型病院
 K・H病院は、療養型病院ということで、脳卒中関係の内科の患者さんは2階の病室に、整形外科関係の患者さんは3階の病室に分けられていますが、半分以上の人達は術後等のリハビリ目的で入院しています。

 病院ですのでその他の病気の外来もあり、当然、リハビリ科もあり、リハビリ棟に理学療養室、作業療養室、言語療養室があって、リハビリの先生方も20人前後いました。
病室
 転院して病室に入りましたが、最初の病室は、NS(ナースステーション)の近くで4人部屋、トイレと洗面所が近く、ベットは窓際で中庭が眺められたので、後では気分転換になって良い場所でしたが、2人は、障害が重いようで殆ど寝たきりで話もできず、、もう一人の整形外科からの来た人と話をするぐらいでした。
看護婦さん
 病室では、看護婦さんから、簡単な病院と中の生活方法の説明がありました。後で考えると、詳しく説明を聞かなかったせいか、最初は、看護婦さんや、看護助手、そう、ここでは、不自由な体の患者さんの面倒を見るため、看護婦さんの2倍以上の看護助手さんがいますが、その人たちの言われるまま慣れるまで大人しく入院生活をしました。
病院の中(1)
 一応、車椅子は自分で操作し移動できるようになっていたので、車椅子の乗り降りは別に、自由に病院内を動いてよい事になりました。

 後で知りましたが、病院では、体の不自由な患者さんが怪我をしないように何でも許可が必要なのです。まあ、患者さんによって出来る事出来ない事があり、勝手にやらせたら危険でしようがありません。

 例えば、行動範囲、車椅子の乗り降り、トイレなどで、障害の程度、回復の程度によっては、建物の外、中庭なども自由に行き来できる人もいましたし、ベットに寝たきりで、何をするのも補助が必要な人もいて様々でした。

 患者はどうにかして歩けるように回復するまでは、普段はベットにいるか車椅子に乗っているかのどちらかしかありません。

 慣れるに従い、病院内の色々な所へ行くようになり、3階の見晴らしの良い所に遠くの景色をよく眺めに行きましたが、病院のある場所は思いあたりませんでした。
 

 病院の中庭を杖を使って自由に歩いている人を見ると、自分も杖をついて歩けるようになるのだろうか、早く歩けるようになりたいと思いましたが、あるけるようになれるか不安もいっぱいでした。

尻から落ちる
 転院してきて何日もしないうち車椅子からベットに移ろうとした際に、体を支えきれずか、よろけてか、尻から落ちてしまいました。

 女房も、側にいましたがあっと言う間でした。

 さあ立てません、女房に手伝ってもらってもダメです。看護助手さんが来たので、看護助手さんの首に手を廻して立たせてもらいました。

 こうなると、勝手に車椅子に乗り降り出来なくなりました。乗り降りする時は、誰かに見守っていて貰わなければなりません。

 正しい乗り降りの仕方も後で、リハビリの先生から教えてもらいましたが、麻痺側の足に力がついて、もう大丈夫、自由に乗り降りして良いと許可(リハビリの先生見ている前で乗り降りの試験をして)が出るまで1ヶ月かかりました。

 それから許可を貰うまでは、朝、車椅子に乗ったら、一日中乗っているようにしました。

 でも、困るのは、夜寝ていてトイレに行きたい時です、一々、看護婦さんか看護助手さんを呼ばなければならず、向こうも大変です、寝ていて尿器にするように言われますが、トイレに行くのもリハビリです、尿器には1〜2度しかしませんでした。
食べる
 食べる量は元気な時より、少なくなりましたが、転院してからは病気直後に比べて、食欲も出てきました。飲んでいた胃薬もでなくなりました。

 他の人に聞くと(私と同じ病院から転院してきた人も多い)評価はまちまちですが、私は、こちらの方が味も良く思えました。

 後で病室が変わってからは食べなくなりましたが、しばらくは、差し入れてもらって病院食以外も味わっていました。

 後、入院も半ばぐらいからは、ご飯の量が少なく感じ、大盛りに直してもらった事も有りますが、やはり大盛りは食べ切れませんでした。

 また、入院してからは好き嫌いが無くなり何でも食べるようになり、リハビリで体を多く動かすようになってからは、食事の時間が待ち遠しくなりました。
トイレ
 トイレが自由になるまでは、長くかかりました。最初は、完全に介助が必要で。次は、見守りと言って介助はしないが、手助け出来る体制で見張ってられる段階。

 次にやっと、一人で自由にトイレが出来るようになるのですが、自由に出来るようになるまでに私は2ヶ月ぐらいかかりました。

 患者さんの中には、障害が重いのか、何時までたってもトイレが自立出来ない方もおり、実際、社会復帰した時は、大変で、気の毒だと思いました。

 また、立ったまま小用するのも片麻痺がある者にとっては、なかなか大変です。私は6月になってからだと思いますが出来ようになりましが、両足で安定して立ち、片手で掴んでしなければならないからで、出来た時は気分がよかったことを憶えています。

 トイレでするところなんて、見られるのも見るのも嫌なものだと思います。
お風呂
 お風呂は、最初は、前の病院と同じ寝たまま浴槽に入る形式でしたが、週、月金の2回ということでありがたかった。

 ただ、ここに来てからのお風呂では、上半身を起こしておいて、頭や前の方を自分で洗うように勤めました。

 そのうち、6月末頃ですが、普通の浴室のシャワー浴にしたらと看護婦長から言われシャワー浴に変わりました。

 寝たまま入るお風呂は特殊浴と言われ、普通の浴室は一般浴と言われ、一般浴では、着替えも原則、自分でします。(ただ、利き腕の関係からか、右半身の麻痺の方は全部自分でやるのは難しそうです)

 私は、これもリハビリであり、看護助手の方には逆に手伝わないでくれと頼んだほどでした。一般浴は火木土の週3回入れるようになります。

 浴槽に入れるようになったのは、それから1ヶ月弱たってからです。浴槽へは手摺が付いた階段があり、リハビリで階段の練習をしなければならなかったからです。

 最初は浴槽の底に尻を付けることが出来ず一段高い段の上に腰をおろしました。理由は、腰をつけたら立上がれないのではないかと思ったからです。

 しかし、一度やってみると、簡単に、右足の力だけで腰が上がったので、立つことが出来ました。

 浮力の力なのです。まさにコロンブスの卵です。勿論浴槽にも手摺が付いていますが、リハビリの先生もこのへんのことは経験がないですから分からなかったようです。
 浴室の中へは車椅子で入って出てきました。

 杖で歩けても滑りそうなので、浴室の中は杖は使わず、洗い場の椅子を動かしながら手摺代わりにして移動しました。
お見舞い
 お見舞いには、たくさんの方に来て頂き、大変有りがたかったし、嬉しかったのですが、最初に頃は、自分の姿が惨めで情けなく、複雑な気持ちでした。

 病気の前までは自分のいた世界ですが、その世界に戻れるのかどうか分からない人間から、羨ましいだけの思いでした。

 ただ、少しずつ杖で歩けるようになってからは、お見舞いの方に来て頂くと、素直な気持ちで話をする事も出来きるようになってきて、外の状況や、気がかりだった話を聞けて、懐かしかったやら嬉しかったやら楽しい時間となりました。
病院の中(2)
 病院の中には同じ病気の仲間がいて、大変、励ましあったり、慰められたりして、気が休まりました。次の3氏とは病室を替わったとき、同室となり毎日を楽しく過ごせました。

 S氏は脳梗塞が2度目という70過ぎの方ですが、何時も元気で頑張っていました。

 T氏は60半ばで2月に転院されてきて9月に転院していきました。努力もして回復も良く、杖を使わなくても結構歩け、手も良く動くようになりっており、洗濯物も自分で洗いたたんでいました。

 T氏は歩き方が自然で手本にしようと思いましたが、障害の状態は人それぞれであり、私の歩き方は良くはなりませんでした。
 I・T氏は50ちょっとで年も近く、いろんな話をしました。この方は、12月に退院しましたが、私は後で何回かI・T氏のバリヤフリーの御宅に遊びに行くようになりました。
一日
 土曜、日曜、祭日以外といっても、外から見れば全てお休みですが、割と規則正しく毎日を生活していました。

 朝は6時ごろ目を覚まし、最初にトイレに行きます。

 帰ってきて6時半には起床のチャイムがなります、このチャイムの前には看護助手さんたちが「顔拭き」といって熱いいタオルをもってきてくれますが、私は別に、洗顔しに行ってました。

 そして、8時から朝食ですが、それまでに、ベットを直し、朝飲む薬を出し、準備体操をします。

 朝食が終ると、歯磨きをし、自主トレをします。

 リハビリは、だいたい午後ですので、時間が有れば、少し、其処ここで話をしたりします。

 お風呂が有るのは特殊浴が9時半過ぎから、一般浴が1時過ぎからです。お風呂の時間は皆楽しそうです。

 12時には昼食、その後リハビリで皆慌しく行ったり来たりです。

 6時から夕食なので、その前に、体操をもう一度しました。7時には私たちの病室は寝る事にして電気を消しました。

 電気を消すとテレビを見る人もいましたが、私は、ベットの明かりを点けて本を、多くは推理小説ですが読みました。

 これが眠る以外の楽しみで、体は疲れて、痛くても、ホッとする一時でした。
外泊
 自宅へは8月と9月に一時帰宅をしました。病院でも患者さんが回復してきて退院も見えてくると、家に帰らせて、生活に支障がないかどうか確認したいようで、熱心に指導します。

 一時帰宅するまでは、家の間取り等を元に、家族や患者とリハビリの先生で介護方法等を検討しますが、私の時は介護は必要ない状態でしたのでそれほど心配しませんでした。

 家に帰ったときは、ああ帰って来れたと一種の感慨を覚えました。

 家に入る前の段差や玄関から上がる段差もなんとかクリヤしましたが、靴の脱着は面倒で課題となりました。

 床への腰掛け、立ち上がりも練習どおりできましたが、面倒でした。

 お風呂では、1回目の時はシャワーまでしか試せませんでしたが2回目には浴槽まで自分で入れましたので、退院後のことをを考えると安心でした。

入院期間

 入院期間は、人それぞれ違いますが、脳卒中のリハビリ入院では、3ヶ月と6ヶ月が目処みたいです。障害の程度や回復状況、退院後の環境(自宅に戻るのか施設
に行くのかで自宅の改築や施設の空きが必要)で異なりますが、1年とか2年ぐらいの方もいました。

 障害の軽い人は3ヶ月ぐらいで、それ以外は大体6ヶ月ぐらいで退院していったみたいです。

 6ヶ月が多いというのは、6ヶ月回復限界説もありますが、入院を待っている患者さんもおり、同じ人を長く置けない状況もあるようです。

 ですから、入院の療養計画も3ヶ月単位で作られ、自宅での介護条件等が整えば、何時でも退院となるようです。

 ここでのリハビリ、社会復帰とは、自宅での生活を可能にすることを目標にしているとのことでした。

 この病気は高齢の患者さんが多くを占めますが、働き盛りの若い人も増えてきており、体の障害は完全には回復しないことからも、軽い障害の人以外、職場復帰をするためには、今のリハビリだけではいろいろと問題があるように思いました。
5) 退 院
 退院は、一度、9月に入って主治医から話しをされましたが、まだまだ、杖で歩けるようになったといっても、長くは歩けず、不安定でしたし、手のほうも少し動くようなってきましたが、使えるというには程遠い状態でしたので、本人はもっと手も足も良くならないのかという気持ちでいました。

 そんなことで、退院は10月に入ってからとして、結局10月末に退院しました。
歩いて
 退院するときは、杖を使ってですけれど歩いて、退院しようと思っていました。毎日、建物の外へは歩行の練習に出でいましたので心配はありません。

 当日は、少し誇らしく、仲間にも見送られ歩いて病棟を出て行きました。

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