2) 病 院
T県A市のA.T病院には3月21日から4月10日まで3週間入院していましたが、この3週間のことは殆ど記憶に残っていません。
女房は最初の頃は、毎日ずっと付いていたようです。少ししてからは1日中はさすがに居られないため、朝と晩に来ていました。
脳内出血の状態は比較的良く、生命に危険は状ありませんでしたが、右脳での出血のため左半身に医者の言う中程度の麻痺がでました。
後で色々な検査をした結果、思考能力や言語、視覚の障害はありませんでしたが、麻痺側の左半身に感覚が無い事が分かりました。
病室で(1)
医者から、昼間は体のリハビリの為、上体を起していた方が良いと言われ、女房がベットを起こそうとすると、頭が痛いと言って、寝ていたそうです。
後から知りましたが、やはり出来るだけ上体を起こしておいた方が体のリハビリには良いそうで、今思うと失敗したと思います
この頭が痛いとき本人は、又、出血してるのではないかと真剣に心配しました。
リハビリ室で(1)
最初の時は、麻痺の状態を調べていたようです。その後何回目には、図形をかかせたり、積み木を並べさせたりしましたが、これは頭の中の視覚や空間の認識する部分の状態を調べていたのでしょう。
はじめ、左の手と足はほとんど動かなかったみたいです。
リハビリ室には、女房に車椅子を押していってもらっていました。
頭の中
最初のこの頃は何を考えていたのでしょうか。
最初は、ショック状態で何にも考えられなかったと思いますが、少し落ち着いてくると、まず、俺の体はどうなってしまったのか、この後どうなるのか。
残った仕事は、どうするのか、このまま動けないままなら、家族の生活はどうなるのかなんて考えていたのだと思います。
一番は、何でこんなになってしまったのかその原因について何が悪かったのか、自分に起きた絶望的な状況について、病気になった事自体をあれこれ思っていたことでした。
実際、頭の中をグルグルとどうどう巡りしながら不安と絶望感に沈んでいたのでした。
病室で(2)
食事は、まったく食欲が無く、食べられません。
最初の頃は、ショック状態だったからからもしれませんが、味が感じられず食べられませんでした。
しばらくたって、精神的に安定してからは、差し入れされたものを結構、食べましたが、3週間後、転院するときには元85kgあった体重が76kgまで落ちていました。
また、夜、不安感からなのか眠れない為、睡眠薬をもらって飲んでいました。
リハビリ室で(2)
リハビリ室では、車椅子からリハビリ台に移りますが、自分1人では移れません。リハビリ台に腰掛けても上半身も不安定です。立ち上がることも1人では出来ませんでした。
リハビリ室でのリハビリは、時間が決まっていて、毎日やることになっていたそうですが、頭が痛いとか気持ちが悪いと言って、度々、休んでいたと、後から女房に聞くと言っていました。
この時期のリハビリは大事だそうで、これも、今思うと失敗した事です。
足のリハビリは、膝から足まで金具を付けて、平行棒内を補助されながら、歩く練習をしていたのを覚えています。
手のリハビリは、補助されて腕を上げたり、掌を開いたりしていました。
他の人
リハビリ室では、色々な人がいますが、中には、補助を受けず、両足で人をベルトで引っ張りながら歩いていたり、箱で作った階段を上り下りしており、あそこまで出来る人が、回復するのか、自分はあのように成れるのかなんて考えていました。
このころは、脳卒中による障害とその回復に関する知識、情報は何にもないので、あてのない希望と、大きな不安があるだけでした。
今思えば、もっと患者に病気のことを教えてやらなければ、患者のいろいろな不安は解消せず、いたずらに患者の精神状態を不安定にしたままで、リハビリにも良くは無いのではないかと思います。
後で、脳卒中の障害は、人それぞれで、回復の状況(進捗度、最終的な回復状態等)も人それぞれ、人は自分の障害を最終的な回復状態を受け入れなければならないことを、転院先の病院を退院するころにやっと理解、納得すようになりました。
トイレ
この病気では、出す事と、トイレをすること(両者は意味が違います)に、皆、苦労するようですが、私も例外なく大変でした。
寝ているだけで体を動かしていないからなのか、腹にも力が入らない無いからなのか、便を柔らかくする薬を飲んでいても便が思うように出ません。
見っともない話では、最初の頃は、トイレに行けないため、便はオムツにしていました。そのまま、いつも当然のようにしていると、看護婦が怒って、「何でトイレに連れて行ってもらってしないのか」と言いました。
言えば連れて行ってくれるの?、でもトイレに座れるかどうか心配でした。本当は、リハビリで、トイレの仕方を麻痺の状態に合わせ教えてもらえるらしいのですが、まだ教えてもらっていませんでした。
病院では看護婦さんに補助されて何とか何回か出来ましたが、非常に危なっかしかったと思います。
便器に座るためには、手すりに捉まっても、両足で便器の前に立ち、半回転し後ろ向きになってから座らなければなりませんが、障害の軽い人以外、片麻痺の患者では足に力が相当に付いて体を支え動かせるまでならないとこれが難しいのです。
お風呂
この病院では1週間に1度お風呂がありますが、浴槽の横に簡単なベットがありその上で洗ってもらい、ベットごと浴槽の中に入れてもらい温まります。
もう、まな板の鯉で、始めは羞恥心もありますが、お風呂はやはり気持ちが良いものでした。
1週間に1度では頭が痒くなるので、病棟の中には頭の洗える洗面台も有ったので、そこで、女房に時々洗ってもらいました。
ベットで体を動かす
女房は毎日来て、寝てばかりいる私の体、麻痺側の手足を一生懸命、動くようにと動かしさすってくれました。
これが後で、非常によかったと思いました。後で本格的にリハビリをやるようになり、腕や、足が少しずつ動き出した時、何処にも痛みは出ず、リハビリがスムーズに出来ましたから。
リハビリの先生に聞いても、最初に、少しでも多く、体へ情報を入力すれば、それだけ回復にも繋がると言っています。
3) 転 院
転院の話は2週間目ぐらいに病院の方から女房の方に次のような話があり、4月10日に転院しました。
「ここは、救急病院で、5月の連休もあるし、ベットを空けておきたいと。」
もっとも、後で聞くと、様態が落ち着き大丈夫となれば、リハビリ専門の病院の方に転院するのは、この病気の一般的な話みたいです。
転院先は、2ヶ所候補があり、Y市のK・H病院とH町のT病院でした。
結局、リハビリがしっかりしているという医師の話と、自宅からも近いということでK・H病院にしました。
K・H病院は入院を待っている患者さんが多く、なかなか、移れないと言われている病院ですが、タイミングが良かったのでしょう。
前の病院は、片道が40〜50分かかり、この病院は10分ぐらいなので、少しは女房も助かったと思います。女房にも倒れられたらそれこそ大変でした。
車の中
転院は、まだ自分では動けないのでストレッチャーごと車に乗せられ移動しました。
3週間、外から離れていたので、車の中に寝たままでも、病院の外は懐かしい想いでした。
でも、転院先の病院に着いても病院がどこにあるのか、現在のところに住んで10年になるのに、全然、見当がつきませんでした。
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